/wɜːr aɪ tuː hæv siːn/
WERE I to HAVE seen
「were I」は「ワーライ」のようにつながることが多いですが、非常にフォーマルな表現なので、各単語をはっきりと発音します。「have」は強く発音され、過去の仮定であることを示します。
"A highly formal, literary, and often archaic way to express a past conditional, meaning "If I had seen" or "Had I seen." It denotes a hypothetical situation contrary to past fact, often with a sense of regret or imagined alternative outcomes."
ニュアンス・使い方
この表現は、過去の事実とは異なる状況を仮定する際に用いられますが、現代英語ではほとんど使われません。文語的で極めてフォーマル、あるいは古風な響きがあります。主に文学作品、哲学的な議論、法律文書、歴史的考察など、非常に改まった文脈や、意図的に古い言い回しを用いる場合に見られます。 話し手が非常に教養がある、あるいは冗談めかして堅苦しい表現を使っているという印象を与えますが、日常会話で使うと不自然に聞こえます。 過去の出来事に対する後悔や、異なる選択肢の結果について深く考察する際に、強い仮定や強調を伴って使われることがあります。
Were I to have seen the impending disaster, I would surely have raised an alarm.
もし私が差し迫った災害を見ていたとしたら、きっと警告を発していたでしょう。
The outcome would have been far different, were I to have taken a different path.
もし私が別の道を選んでいたとしたら、結果は全く違っていたでしょう。
Were I to have known of your plight, I would have offered assistance without hesitation.
もし私があなたの苦境を知っていたとしたら、ためらうことなく援助を申し出ていたでしょう。
Such a tragedy might have been averted, were I to have intervened earlier in the process.
もし私がもっと早い段階で介入していたとしたら、そのような悲劇は避けられたかもしれません。
His decision, were I to have been in his shoes, would have been made with greater caution.
もし私が彼の立場にいたとしたら、彼の決定はもっと慎重に行われていただろう。
The historical analysis suggested that the empire's fall might have been prevented, were I to have advised the emperor.
歴史分析は、もし私が皇帝に助言していたとしたら、帝国の滅亡は防がれたかもしれないと示唆している。
Philosophers often ponder how humanity's fate would have altered, were I to have discovered that truth sooner.
哲学者たちは、もし私がもっと早くその真実を発見していたとしたら、人類の運命はどう変わっていたかについてしばしば熟考する。
Were I to have witnessed the incident firsthand, my testimony would have been more precise.
もし私がその事件を直接目撃していたとしたら、私の証言はより正確だったでしょう。
「were I to have seen」とほぼ同じ意味で、過去の事実に反する仮定を表します。しかし、「If I had seen」はより一般的で、現代英語で広く使われる表現です。「were I to have seen」は非常に堅苦しく、古風な印象を与えます。
「If I had seen」の倒置形で、こちらも過去の事実に反する仮定を表します。フォーマルな表現ですが、「were I to have seen」ほど古風ではなく、現代の書面や改まったスピーチでも比較的使われることがあります。
こちらは過去の仮定ではなく、「もし私が〜するとしたら」という未来や現在の仮定(仮定法未来)を表します。意味が異なるため、混同しないよう注意が必要です。「were I to have seen」が過去の出来事に対する仮定であるのに対し、「If I were to see」は将来起こりうる、あるいは現在の非現実的な状況に対する仮定です。
仮定法では、主語が一人称単数「I」であっても「was」ではなく「were」を使用します。これは仮定法の共通ルールです。
「were I to see」は「もし私が〜するとしたら(未来・現在の仮定)」という意味になります。過去の事実に反する仮定を表す場合は、完了不定詞「to have seen」を用いる必要があります。
この表現は倒置形として使われるのが特徴的です。厳密に間違いではありませんが、「If I were to have seen」という形は非常に稀で、通常は「If I had seen」か「Had I seen」を使います。このフレーズの「Were I to have seen」の形式自体が、倒置によるフォーマルさを意味します。
A:
The emperor's choice led to the empire's downfall. It's truly a critical point in history.
皇帝の選択が帝国の滅亡につながりました。本当に歴史上の重要な転換点です。
B:
Indeed. Were I to have seen the dangers of such a policy then, I would have urged a different course.
全くです。もし当時、私がそのような政策の危険性を見ていたとしたら、別の道を強く勧めていたでしょう。
A:
Professor, how do we evaluate the moral responsibility of historical figures when their knowledge was limited?
教授、歴史上の人物が限られた知識しか持っていなかった場合、その道徳的責任をどのように評価すべきでしょうか?
B:
An excellent question. Often, we impose our current understanding. But were I to have fully perceived the future consequences, my past actions would undoubtedly reflect a different wisdom.
素晴らしい質問です。私たちはしばしば現在の理解を押し付けがちです。しかし、もし私が未来の結果を完全に認識していたとしたら、私の過去の行動は間違いなく異なる知恵を反映していたでしょう。
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